今だからこそわかる、赤瀬川原平「老人力」

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この本が出版されたのは1998年。出版されるやいなや。またたく間にベストセラーになって「老人力」がその年の流行語大賞にもなったんだとか。“なったんだとか・・・”っていってるくらいのわたしなので、そんなのはまったく覚えていないんです。そもそも流行語じたいあっという間に忘れてしまうものですしね。けっきょく、流行ってそーゆことです。でもちょっと思い出してみよう。今から27年前の1998年。わたしは新しい命を授かり、期待と不安の毎日を過ごしていたっけ。同じ「生命力」でも赤ん坊と老人のとでは、ぜんぜんちがうしーって思っていたでしょうね。でもね、今なら同じ延長線上・・・ってわかる。それだけ年をとったのかもしれない。
赤瀬川原平「老人力」
この頃、年老いたな・・・と感じることも正直あります。
今までできたことができなくなる、身体のあちこちがイタイ、あれ〜、あれあれ〜!とかいって言葉が出てこないとかね。
こうしたいわゆる「老化現象」を赤瀬川氏は「老人力がついた」と表現するのです。あいつモーロクしてきたな、なんてネガティブな言い方はしなくて、あいつもだんだん老人力がついてきたな、って。言葉をかえるだけで、ほら、ちょっとカッコイイ感じになるわけなんです。27年前のわたしには、わからなかった老人力だけど、今ならわかる。そしてつくずく、ベストセラーだからといって当時この本を手にしなくてよかったなと思います。それは、あの頃のわたしには「老人力」に強いシンパシーを感じられなかったから・・・ではない。赤瀬川氏の言葉のやさしさを感じとれなかっただろうなって思うから。彼のささやかなことに感じる愛情の深さに共感できるか、できないか。それこそが「老人力」だと思うんですよね。わたしは、次の一節がとても好きです。じんわり涙がでるくらい好き。

「家並みや、垣根や、玄関先に並ぶ植木鉢の群れなど、一見古くなって捨てる寸前のように見えるものが、丁寧に並んでいる。植木が風で倒れないように細い紐で縛ってあるのが、台風のたびにやったのか、色とりどりの、材質もいろいろの荷造り紐で、結び方がぞんざいだけど、そのやり方の積み重ねはじつに丁寧で、そこまでやってもしょうがないよ、というところを心ゆくまでやっているのは、まさに老人力であり、芸術でもある」
(「老人力」より原文のまま抜粋)

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